数珠とは?
お仏壇に向かってお参りする時や、お葬式、法事、墓参りの時に手にするのが、数珠です。珠数とも書きますし、念珠とも呼びます。心で念ずる珠です。
キリスト教のシンボルは十字架ですが、仏教のシンボルは円い数珠です。
合掌する手に掛け、仏さまと心を通い合わせる法具であり、仏教徒にとっては忘れてはならない必需品です。
ですから、どの宗派でも数珠を大切にします。
浄土宗の法然上人などは、「身を浄め、手を洗いて、数珠を取れ」と仰しゃっているほどですし、浄土真宗の蓮如上人は、御文章(御文)二帖目に
「当山の念仏者の風情を見及ぶに、数珠の一連をも、持つ人なし。
さるほどに仏をば手づかみにこそせられたり」と書かれています。
仏さまに向かうときには、数珠を手にするようにと、戒めているのです。
なお、数珠は一連、二連と数えます。
昔、お釈迦さまが、国中に疫病が流行って困っていた波流離国の王に「百八のモクケンシの実をつないで、いつも手にして心から三宝(仏・法・僧)の名を唱えなさい。そうすれば煩悩が消え、災いもなくなります。心身も楽になるでしょう」と語ったことが、「仏説モクケンシ経」に説かれています。三宝の名とは、「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」と称えることです。
モクケンシとは、羽子板の羽根の重しになっているムクロジの実のことです。
しかし、「過去無量恒河沙の諸仏の説くところ、一百八数を念珠の量となす」と記している経典がありますので、数珠の起源は、お釈迦さまよりも古いようです。
お釈迦さまの教えが経典となって、広く世間に流布するのは、お釈迦さまが涅槃に入られてから五百年ほど経ってからですが、その間に数珠も、数の概念や一つ一つの珠の意味づけがされ、経典にも説かれて、仏教の法具として欠くべからざるものになっていくのです。仏教が中国から日本に伝来したとき、数珠も一緒に入ってきました。
正倉院には、聖徳太子が愛用された蜻蛉玉(とんぼめ)金剛子の数珠や、聖武天皇の遺品である水晶と琥珀の数珠二連が現存しています。
すなわち、天平年間には数珠が伝えられていたことになります。
それが仏具として僧侶以外の一般の人々にも親しまれるようになったのは、鎌倉時代以降のことです